Liebling ZARD.

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 1. マイ フレンド

作曲:織田哲郎 編曲:葉山たけし 

 2. 不思議ね・・・

作曲:織田哲郎 編曲:明石昌夫 

 3. hero

作曲:大野愛果 編曲:大賀好修

 4. I still remember

作曲:栗林誠一郎 編曲:明石昌夫

 5. 夏を待つセイル(帆)のように

作曲:大野愛果 編曲:葉山たけし

 6. 見つめていたいね

作曲:栗林誠一郎 編曲:明石昌夫

 7. Ready,Go!

作曲:川島だりあ 編曲:葉山たけし

 8. きっと忘れない

作曲:織田哲郎 編曲:明石昌夫

 9. Vintage

作曲:徳永暁人 編曲:徳永暁人

10. 少女の頃に戻ったみたいに

作曲:大野愛果 編曲:池田大介

11. MIND GAMES

作曲:綿貫正顕 編曲:綿貫正顕/古井弘人

12. 心を開いて

作曲:織田哲郎 編曲:池田大介

13. 遠い日のNostalgia

作曲:望月衛介 編曲:明石昌夫

14. あなたに帰りたい

作曲:栗林誠一郎 編曲:明石昌夫

15. Forever you

作曲:織田哲郎 編曲:明石昌夫 

All words by IZUMI SAKAI.

食べられる

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無気力に手足をつけたような俺もいよいよ四月から働き始めることになった。ついこの間母親の胎内で着床した気がするのだが随分と早いものである。ひたむきにイチゴになることを志していた四歳当時の俺には申し訳ないが、残念ながら現在進行形でヒトであり、四月から栃木の果樹園で栽培される予定もない。これから金太郎飴のような会社員になるのだ。

 学生生活も残り二ヶ月を切った。「今しかできないことをやれ」と世の有象無象は言うが、何をするにしても金という存在が目の前に必要条件として立ち塞がる。持ち合わせのない俺は必然的に「今しかできないこと」の範囲が狭まった。「金は生み出すものだ」と学食の隅でゴムのようなからあげをつつきながら俺に言い聞かせた昆虫顔のことを思い出す。ギャンブルでの儲け話のデセールとして出されたその迷言にはなぜか不思議と説得力があった。あった気がしたが、その後彼は奨学金の殆どを空の銀玉に替え中退したので撤回する。

ギャンブルをする度胸と器量もない俺は金を生み出すために、自室で役目を果たし安穏とした余生を過ごしている本たちを売ることにした。クソでかいコストコの袋になぜか三冊あったハンターハンターの26巻を含む数十冊の本を詰めて古本屋に向かう。店員が買取査定をしている間、店内を物色していると『10代のうちにしておきたいこと』という本が目に入った。俺は10代ではないが、本来の自己啓発ではなく過去を省みるという目的でこの本を購入した。「今しかできないこと」ではなく「今までできなかったこと」に思考を働かせることにしたのだ。

読み進めると意外と10代のうちに成し遂げた項目が多く、自分の10年間に多少なりとも値段がついたようで、安堵した。項目の中に、「将来何で食べていくかを考える」というものがあった。どうだろうか。中学生の頃は食べていくというよりも一日中年上の痴女に食べられたいと悶々としていた。四歳の頃はイチゴを志望していたし、俺は被捕食者としての天賦の才があるのではないか。高校生のときはとりあえず大学に入学することを終点としていてその先のことなんて考えてすらいなかった。昨年、就職活動をするにあたってようやくそういったことを意識し始めた気がする。結果的に俺は、派手な業界の社員でもなく、高給取りでもなく、至って平凡で無個性な、冒頭でも述べたような、「金太郎飴」のような会社員になることになった。ん?金太郎飴?やはり俺は被捕食者の才がある。

スパイス

ブログのように、不特定多数に発信するものを書いていると、その中でどうしても脚色とか誇張をしてしまうものである。これはブログを書いている人なら誰しもが経験することだと思う。やはりこうして、時間を割いて書くからには、面白いと思われたいし、感心されることで、自らのつまらない承認欲求を満たしたいというのもある。まあ、自分を大きく見せるということだろうか。読み手は例外を除けば自分のことを深く知らない人間なのだから、言ってしまえば、大きくし放題なのだ。これは、あれに似ている。本当はおちんちんの長さが13センチなのに、周りには15センチだと吹聴する、あの感じに。何かと具体的な数字なのは気にしないでほしい。そう、おちんちんも同様に、例外を除けば周りからは見えることはないので、大きくし放題なのだ。これを何と言ったか。見栄を張るか。この場合は、テントを張ると言ったほうがより適切かもしれない。1を2にするのは良いが、1を10にしたり、0を1にするのは、やめたほうがいいかもしれない。分かりにくいから、おちんちんで例えよう。13センチを15センチと言うのは良いが、13センチを30センチと言ったり、ましてや女性なのに「おちんちん生えてるよ!」と言ったりするのが駄目ということである。というのも、ブログの目的としては、他者への公開が大前提であるが、ウェブ上の日記と謳われているように、自分自身も後々に見返すことになると思う。そのときに、脚色や誇張された文章を見て、その事実に気付くことができればいい。比較的最近のものなら気付くことができるだろう。しかし、何年も経ったらどうだろう。脚色や誇張の中に中途半端に真実も混ぜらていた場合、大半の人は、「こんなことがあったんだ」と、その文章を素直に受け入れてしまうのではないか。その結果、0を1にするという脚色や誇張の範疇を超えた、でっち上げまでもが、時間の経過と共に、何の違和感もなく、「自分の過去」となってしまう恐れがあるのだ。怖い怖い。この調子で、「もう偽るのはやめよう!ありのままの日常を綴ろう!」と言ってしまいたいところだが、そうしてしまった場合、自らの日常のあまりの彩りのなさ、惰性感に絶望し、ブログ自体をやめてしまうのがオチである。やはり私たちは醜い。見栄を張ることでしか、自己を保っていけないのである。せめて、脚色や誇張という呼び方をやめよう。少しユーモアを含ませた、「味付け」というのはどうだろうか。分かりにくいか。じゃあ恒例のおちんちんで例えてみよう。私のおちんちんは夜になると光る。

サブカルスパイラル

我々日本人は群集心理や同調圧力に囚われた存在である。「皆がやるから自分もやる」という考えに基づいているのだ。そういった部分から脱却したいと考えた人間が作り出したのが、"サブカルチャー"である。略して"サブカル"と言う。そしてそれに属する人間のことを"サブカル系"と言う。よく下北沢とか高円寺に跋扈しているあいつらのことだ。ヴィレッジヴァンカードを巣としていて、寺山修司をバイブルとしているあいつらのことだ。かなり簡単に言えば、アブノーマルなものを好む人間である。アブノーマルなものと言ってもピンとこないかもしれない。例えるなら、センター試験の科目であれば、"公民"である。包茎の種類であれば、"カントン包茎"と言ったら理解できるだろうか。まあ、ちょっと前まではサブカルは個性的であったが、最近はサブカル系の人口が増えすぎたせいか、だんだんと無個性になってきた。恐らく今後もサブカル系は増え続けていくと思われる。集団錯誤の呪縛である。群集心理や同調圧力から脱却するために作り出したものが、皮肉にもまた新たな群集を生み出してしまった。では、どうすれば脱却できるのか。普通でなくなればいいのか。しかしそのままでは従来のサブカルと何ら変わりない。更にアブノーマルを追求すればいいのだろうか。普通の人間がジャケットを着れば、サブカル系は、やけにヒラヒラしている、それ服なの?ただの布じゃないの?ゴミ捨て場で見たことあるよ?的なものを着る。ここから更にアブノーマルとなると、もう全裸しかない。普通の人間が好みの芸能人に佐々木希を挙げれば、サブカル系は、緒川たまきを挙げる。では、更なるアブノーマルは誰を挙げればいいのか。残された選択肢は、ジュニアアイドルくらいである。そんな風にアブノーマルを極限まで追求した結果、その人間がどういったものに分類されるかと問われれば、ただの「変態」なのだ。そして残念なことに、変態はこの世にごまんと溢れている。