ZARDを読み解く/もう少し あと少し...

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疲弊した身体に清涼剤のように染み渡っていく歌声。

かれこれ15年程聴き続けているが、最近は特に仕事の多忙さもあり、ZARDのローテーションが止まらない。

どうせ聴くなら、曲の読み解きでもやってみようかなと思い、稚拙な文ではあるが綴っていきたい。

今回は、もう少し あと少し…という曲にスポットを当ててみる。

1993年9月の作品であり、このときの坂井さんは若干26歳。ちょうど今の私と同じくらいの年齢である。私の精神年齢が低すぎるとも言えるが、なかなか年不相応な重量級の歌詞を綴っておられるのだ。

 

いけない恋と知っても

 

とあるようにこの曲は、「不倫」をテーマにしている。

世間一般の爽やかで、キラキラしたZARDのイメージとは対にある曲と言える。しかしながら、シングルだと『Just believe in love』や『永遠』なども不倫を描いていると考えられ、聴いてみると案外ZARDは「陰」の曲が多いのである。

 

きまぐれな九月の雨に

白い傘の少女がすれ違う

 

上記の歌詞で当曲は始まっていくのだが、なかなかこの部分の解釈が難しい。

『きまぐれな九月の雨』・・・これは不倫相手である男性の、「優くしたり、突き放したり…」そういったどちらともつかない態度、そしてそれに翻弄される主人公の心境の暗喩なのかなと思う。感情を天候で表現するというのは一般的によく見られる手法である。

さて問題の、『白い傘の少女がすれ違う』の部分であるが、私なりの解釈で述べると、いけない恋をするある種、「黒い」主人公の対比としての、「白」い傘の少女なのではないだろうか。

純粋無垢の象徴である「少女」とのすれ違いを描くことで、過去の自分を回顧すると共に、もう戻れないところまで来てしまったという心情を表しているのかもしれない。

 

もう少し あと少し 愛されたい

いけない恋と知っても

もう少し あなたのこと 困らせたい

この愛止められない

 

この曲の主人公は不倫はしているものの、男あるいはその家族に何かしてやろう・・・といった行動的なタイプではなく、どちらかというと、「控えめで感情を押し殺すタイプの女性」であるように思われる。歌詞を読むことでそのような大体の主人公像というのは想像できるのだが、坂井さんの歌唱表現がよりその像をはっきりとさせてくれる。

というのも、坂井さんは曲によって歌い方であったり、声色を変えており、「二年前の失恋を引きずる女性」であったり「ポジディブ思考なOL」などその歌い分けのバリエーションはかなり豊富であり、正真正銘のアクターであると言える。  

 

話を戻して、そんな控えめで内気な主人公。『叶わぬ夢』というフレーズがあるように、この恋が実らないことは分かっている。

分かっているからこその曲題、『もう少し あと少し…』である。主人公目線で言うならば、「もう少しだけそばにいさせて。あなたは困るかもしれないけど、それくらいのわがままくらいは言っても良いよね?」といった具合だろうか。良いに決まってる。私が許可する。

 

さて最後にこの曲を語る上で、外せない一節がある。

 

追伸 あなたの生まれた家を見てきました

 

「あなたの家」ではなく、「あなたの生まれた家」となっているのがミソである。即ち実家である。個人的には不倫相手にわざわざ実家の住所を教えるというイメージがあまり沸かない。

では何故男の実家が分かったのか。93年当時なのでインターネットも盛んではないし、電話帳?登記簿?主人公と男が同郷ならば「俺あの辺りが実家なんだよね」という会話が交わされていれば、土地勘を元に大体の位置関係を特定できるのかも。想像は膨らむばかりであるが、いずれにしても、主人公の「愛」に対する「狂気」の表れであり、そんな狂気を描き歌う坂井さんの人間臭さが、たまらなく好きなのだ。

 

もう少し あと少し・・・

もう少し あと少し・・・

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クリスマスイム

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メリークリスマス。
こう、パソコンの前に座して文章を書くっていうのも何だか久しい感じがします。
最近はネットもメールも※RTOも何でもかんでもスマホ頼りでしたから。
今年のクリスマス、皆さん、恋人、友人、家族、アクロカントサウルス など、それぞれ思い思いの人・獣脚類と共に、それぞれのクリスマスを過ごされたことでしょう。
中にはソロ活動に従事した方も多いのではないでしょうか。
僕は、自分へのプレゼントを買いに行くべく、凍える手で諭吉を握り締め百貨店に繰り出しました。
当日にプレゼントを購入する層も割と多く、店内は人が跋扈していました。種田山頭火氏がご存命なら『分け入っても 分け入っても すげえ人』と自由律俳句を詠んでいることでしょう。その中を掻き分け、目的の地へ進みます。
途中、ツインテールのブスを連れたオタクにぶつかり、hiFの舌打ちをされながらも何とか辿り着いたのが、スポーツ用品売り場です。
というのも、先日ふと「泳ぎたい」という欲に駆られまして。冬に。会社で伝票処理しているときに。
皆さんも多分こういう経験はあると解釈しているのですが。
何て言っても水泳欲は、食欲、性欲に次ぐ人間の三大欲ですからね。仕方がないですね。
そういった経緯もあり、近所のジムに入会手続きをし、併せて自分のクリスマスプレゼントということで競泳水着を購入しようという考えに至りました。
まあでも、イヴに、汗まみれの男が、「水着置いてますか」って聞いてきたら、さすがに万人に愛想を振りまく店員さんのアルカイックスマイルにも陰りが見えますよね。
いやだって、店内物凄い暑いんだもん。ほらほら、あの人も汗かいてるじゃん。空調効きすぎなんだって。
結局、水着、置いてなかったです。
試着し易いように薄めのパンツ履いてきたんですけどね。赤の。意味がありませんでした。
寒空の下、アベックの笑い声と何処かの店先から流れるマライアキャリーの歌声をBGMに、帰路を歩む僕が思ったのは、「というかジムで買えば良いじゃん」 これだけでした。
※RTO(Road To Orgasmの略称。オーガズムに達するまでの道、即ち自慰行為を指す)

食べられる

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無気力に手足をつけたような俺もいよいよ四月から働き始めることになった。ついこの間母親の胎内で着床した気がするのだが随分と早いものである。ひたむきにイチゴになることを志していた四歳当時の俺には申し訳ないが、残念ながら現在進行形でヒトであり、四月から栃木の果樹園で栽培される予定もない。これから金太郎飴のような会社員になるのだ。

 学生生活も残り二ヶ月を切った。「今しかできないことをやれ」と世の有象無象は言うが、何をするにしても金という存在が目の前に必要条件として立ち塞がる。持ち合わせのない俺は必然的に「今しかできないこと」の範囲が狭まった。「金は生み出すものだ」と学食の隅でゴムのようなからあげをつつきながら俺に言い聞かせた昆虫顔のことを思い出す。ギャンブルでの儲け話のデセールとして出されたその迷言にはなぜか不思議と説得力があった。あった気がしたが、その後彼は奨学金の殆どを空の銀玉に替え中退したので撤回する。

ギャンブルをする度胸と器量もない俺は金を生み出すために、自室で役目を果たし安穏とした余生を過ごしている本たちを売ることにした。クソでかいコストコの袋になぜか三冊あったハンターハンターの26巻を含む数十冊の本を詰めて古本屋に向かう。店員が買取査定をしている間、店内を物色していると『10代のうちにしておきたいこと』という本が目に入った。俺は10代ではないが、本来の自己啓発ではなく過去を省みるという目的でこの本を購入した。「今しかできないこと」ではなく「今までできなかったこと」に思考を働かせることにしたのだ。

読み進めると意外と10代のうちに成し遂げた項目が多く、自分の10年間に多少なりとも値段がついたようで、安堵した。項目の中に、「将来何で食べていくかを考える」というものがあった。どうだろうか。中学生の頃は食べていくというよりも一日中年上の痴女に食べられたいと悶々としていた。四歳の頃はイチゴを志望していたし、俺は被捕食者としての天賦の才があるのではないか。高校生のときはとりあえず大学に入学することを終点としていてその先のことなんて考えてすらいなかった。昨年、就職活動をするにあたってようやくそういったことを意識し始めた気がする。結果的に俺は、派手な業界の社員でもなく、高給取りでもなく、至って平凡で無個性な、冒頭でも述べたような、「金太郎飴」のような会社員になることになった。ん?金太郎飴?やはり俺は被捕食者の才がある。