スパイス

ブログのように、不特定多数に発信するものを書いていると、その中でどうしても脚色とか誇張をしてしまうものである。これはブログを書いている人なら誰しもが経験することだと思う。やはりこうして、時間を割いて書くからには、面白いと思われたいし、感心されることで、自らのつまらない承認欲求を満たしたいというのもある。まあ、自分を大きく見せるということだろうか。読み手は例外を除けば自分のことを深く知らない人間なのだから、言ってしまえば、大きくし放題なのだ。これは、あれに似ている。本当はおちんちんの長さが13センチなのに、周りには15センチだと吹聴する、あの感じに。何かと具体的な数字なのは気にしないでほしい。そう、おちんちんも同様に、例外を除けば周りからは見えることはないので、大きくし放題なのだ。これを何と言ったか。見栄を張るか。この場合は、テントを張ると言ったほうがより適切かもしれない。1を2にするのは良いが、1を10にしたり、0を1にするのは、やめたほうがいいかもしれない。分かりにくいから、おちんちんで例えよう。13センチを15センチと言うのは良いが、13センチを30センチと言ったり、ましてや女性なのに「おちんちん生えてるよ!」と言ったりするのが駄目ということである。というのも、ブログの目的としては、他者への公開が大前提であるが、ウェブ上の日記と謳われているように、自分自身も後々に見返すことになると思う。そのときに、脚色や誇張された文章を見て、その事実に気付くことができればいい。比較的最近のものなら気付くことができるだろう。しかし、何年も経ったらどうだろう。脚色や誇張の中に中途半端に真実も混ぜらていた場合、大半の人は、「こんなことがあったんだ」と、その文章を素直に受け入れてしまうのではないか。その結果、0を1にするという脚色や誇張の範疇を超えた、でっち上げまでもが、時間の経過と共に、何の違和感もなく、「自分の過去」となってしまう恐れがあるのだ。怖い怖い。この調子で、「もう偽るのはやめよう!ありのままの日常を綴ろう!」と言ってしまいたいところだが、そうしてしまった場合、自らの日常のあまりの彩りのなさ、惰性感に絶望し、ブログ自体をやめてしまうのがオチである。やはり私たちは醜い。見栄を張ることでしか、自己を保っていけないのである。せめて、脚色や誇張という呼び方をやめよう。少しユーモアを含ませた、「味付け」というのはどうだろうか。分かりにくいか。じゃあ恒例のおちんちんで例えてみよう。私のおちんちんは夜になると光る。