食べられる

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無気力に手足をつけたような俺もいよいよ四月から働き始めることになった。ついこの間母親の胎内で着床した気がするのだが随分と早いものである。ひたむきにイチゴになることを志していた四歳当時の俺には申し訳ないが、残念ながら現在進行形でヒトであり、四月から栃木の果樹園で栽培される予定もない。これから金太郎飴のような会社員になるのだ。

 学生生活も残り二ヶ月を切った。「今しかできないことをやれ」と世の有象無象は言うが、何をするにしても金という存在が目の前に必要条件として立ち塞がる。持ち合わせのない俺は必然的に「今しかできないこと」の範囲が狭まった。「金は生み出すものだ」と学食の隅でゴムのようなからあげをつつきながら俺に言い聞かせた昆虫顔のことを思い出す。ギャンブルでの儲け話のデセールとして出されたその迷言にはなぜか不思議と説得力があった。あった気がしたが、その後彼は奨学金の殆どを空の銀玉に替え中退したので撤回する。

ギャンブルをする度胸と器量もない俺は金を生み出すために、自室で役目を果たし安穏とした余生を過ごしている本たちを売ることにした。クソでかいコストコの袋になぜか三冊あったハンターハンターの26巻を含む数十冊の本を詰めて古本屋に向かう。店員が買取査定をしている間、店内を物色していると『10代のうちにしておきたいこと』という本が目に入った。俺は10代ではないが、本来の自己啓発ではなく過去を省みるという目的でこの本を購入した。「今しかできないこと」ではなく「今までできなかったこと」に思考を働かせることにしたのだ。

読み進めると意外と10代のうちに成し遂げた項目が多く、自分の10年間に多少なりとも値段がついたようで、安堵した。項目の中に、「将来何で食べていくかを考える」というものがあった。どうだろうか。中学生の頃は食べていくというよりも一日中年上の痴女に食べられたいと悶々としていた。四歳の頃はイチゴを志望していたし、俺は被捕食者としての天賦の才があるのではないか。高校生のときはとりあえず大学に入学することを終点としていてその先のことなんて考えてすらいなかった。昨年、就職活動をするにあたってようやくそういったことを意識し始めた気がする。結果的に俺は、派手な業界の社員でもなく、高給取りでもなく、至って平凡で無個性な、冒頭でも述べたような、「金太郎飴」のような会社員になることになった。ん?金太郎飴?やはり俺は被捕食者の才がある。